フジコ・ヘミング、ラ・カンパネラに寄せる荘厳なる崩壊のドキュメント

永遠の少女。彼女がリストを弾く時その手には神が宿る….。

明かりが灯った時、ピアノの前に座っていたのは86歳の老女だった。

歩行器で歩くのを見られたくなくて、行き来する時は毎たび照明を落とすように命じていた。

背中は曲がり、もう諦めたような目をしている。

演奏が始まると、彼女のレパートリーが何曲か演奏される。わたしがどうにもならない暗いトンネルの中を歩いていた時に聴いていたのと同じ曲でも、彼女から響き渡る音色は鮮やかに生きていた。

時に足を踏み鳴らしたくなるくらい、音に艶があった。そして、彼女の代名詞になったリストのラ・カンパネラ….。

わたしにはこんな光景が見えた。

ひっそりとした夜に聳え立つ城壁に、盗っ人が最初の一歩を繰り出す。
彼は城壁を音もなく這い上ってゆく。
緻密な動きで、計算し、あらかじめ計画していたように城壁を這い上る。星々は煌めき、しかし月には雲。

盗っ人は城壁の頂点まで登り、さらに上のお城にロープをかけた。ロープを這い上がってゆく。誰一人として起きていない夜、寝静まった夜に。

その城の中に、眠れない王女がいた。

王女は透かし彫りの燭台にロウソクを灯し、あの恋しい、禁じられた恋人、敵国の王子を想っていた。

部屋を彷徨い、窓辺にいき、眼下を見下ろす。

ロープを登っている侵入者、さっきの盗っ人だ。

王女は慌てず、懐剣を取り出し、窓を開けてロープを切ろうとした。
ロープにナイフをあて、ギシギシと麻の縄を切ろうと擦る。
気付いた盗っ人も、こちらも慌てなかった。
さらによじ登り、王女の部屋に近づいた。

王女は透かし彫りの燭台を翳し、盗っ人の顔を映す。
その、暗がりに浮かんだ顔。
あまりの色気の絶品の男に、そのとき王女は恋をしてしまった…..。
盗っ人は、ほくそ笑む。

しかし、緻密な時間の配分と均衡で、切り掛けのロープが解けて切れてしまう、そのロープの縄の旋回は限界ギリギリの遠心力で王女の恋人、敵国の王子を忘れさせる。

「助けなきゃ。」
王女は盗っ人を愛してしまった。
だが、時すでに遅し。

ロープは切れ行き、盗っ人の顔から血の気が退く。
それでも盗っ人の美しい顔は絶妙な色気を湛えている。

王女は、自分も一緒に落ちてもいい、とすら思った…。
王女が恋人を捨てて窓から飛び降りようとした瞬間、
この、敵国の王子や盗人を愛してやまない碌でもない女に制裁が与えられる。

キラキラと光るような音色を奏でながら、城壁の石垣が下から崩れ始めたのだった。
雷鳴が轟き、
黒雲は割れて空に穴が空き、
暗黒から光が射した。

光に照らされた城は高貴な色に輝き、
けれども城は土台から崩れてゆく。

不思議なほど麗しい、均一なモデラートで….。
まるでメトロノームに合わせて歌うように、
城が崩れてゆく。

王女の足元が掬われ、盗っ人の顔、
間近に。

二人は光の中で見つめ合い、
そして世界は暗転した。