同人誌

ペンネームがタテイシユウスケだった頃の2002年に発行した同人誌「うまく歌えなくても」の在庫がまだ少し(現在8冊)ありますので通信販売をいたします。価格は500円+送料120円(普通郵便)=620円、お支払いはPayPalインボイス(請求書)発行となります。以下のフォームからご連絡いただきましたら折り返しご連絡差し上げます。

本文16ページの薄いA5の小説作品でイラスト等はありません。当作品は電子書籍化しておりますので、それでも紙の本がよいという方向けです。

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下の方に写真や本文サンプルがありますのでご参考までにどうぞ☺️

サンプル ↓

 エスプレッソマシーンからドリッピングされる褐色の液体を眺める。こぽこぽと音を立てて、白いデミタスカップがエスプレッソで満たされる。その様子を眺めながら、佐久間さんが来るのを待っている。佐久間さんはたいがい時間に遅れてやってくる。最後の最後かもしれない。いつもそう思う。彼との逢引も今日で最後になるかもしれない。彼がやってくるのを待つ間、いつも必ず思ってしまう。

 一月とは思えない陽射しのうららかな午後。窓から部屋の中に日の光が差し込み、ほかほかしている。陽光の中、ちりがさらさらと舞っている。キッチンから真冬の部屋のやさしい光景が見渡せる。丘の上の、白い鉄骨のマンションに住んでいる。マンションといってもなぜだか一階建て、つまり平屋だ。マンションと呼んでいいのかどうかもわからない。だけれど鉄筋で、キューブのような部屋が六つある棟だから、マンションと呼ぶのが相応しいような気がする。平らな屋根によじ登ると、夜にはよく星が見える。辺りには背の高い建物もないし、このへんは夜になるとずいぶん暗くなるのでよく星が見える。

「昨晩またお月様と交信しましたですよ」

 部屋を眺めていると、縫いぐるみのウサギが言った。ウサギの縫いぐるみと言うのが正しいのかもしれないけれど、なんとなく、縫いぐるみのウサギだ。来たばかりの頃に比べるとずいぶん喋るようになったがまだ日本語がたどたどしい。時々、意図的なつたなさに思えることもある。

「それで、にゃんこさんは元気だった?」

 キッチンのテーブルの椅子にちょこんと座った縫いぐるみのウサギの方を向いて尋ねた。いつもいちばん最初ににゃんこさんのことを訊いてみる。それが習慣になっている。ウサギの目は他所の方を向いている。いつもよそよそしい表情をしているのだけれど、お月様の話をするときは饒舌になる。

「昨日のお月様は風のない晩でしたよ」縫いぐるみのウサギは続けた。「とても穏やかで、薄黄色をしていましたですよ。白人はシルバー・ムーンだと言いますですけれど、瞳の色がちがうと色の見え方もちがってくるんでしょうかね」

「にゃんこさん、元気にやってた?」二度、同じ事を訊いてみる。

「元気だったみたいですよ」自信がなさそうに言う。「昨日はちょっと出掛けてたみたいです、交信を開始したとき。しばらくしたら戻ってきたから、少しだけお話ししたですよ。元気そうで、相変わらず歩いてはすっ転んで地べたに這いつくばってましたよ。ほら、よくこの部屋でも、床の上に転がっては首だけ伸ばしてあちこち眺め回していたでしょう。あんなふうに」

「にゃんこさん、淋しくないって?」

「お月様では淋しくないですよ」

「そう。よかった」

 縫いぐるみのウサギに屈みこんでおなかを撫でてやる。それから壁の掛け時計を見上げる。佐久間さんはまだ来ない。

 そうだ、この前お隣りさんからもらったグレープ・フルーツがまだあった。佐久間さん、食べるかな。ジュースにしておこうかな。椅子から立ち上がって冷蔵庫を開ける。グレープ・フルーツの黄色い果実を二つ取り出す。これでおしまいだ。放っておくとだめにしてしまいそうだから、佐久間さんに食べさせてしまおう。二つの果実をそれぞれ二つに切り、テーブルに戻ってスクイーザーで搾り始める。目に染みて、涙が出そうになる。  佐久間さんと知り合ったのは、菜の花が一面に咲き誇る頃だった。どちらかと言うと無骨な感じの人なので、菜の花なんて似合わないかもしれないけれど、なんとなく、やわらかな黄色で包んでくれるような人だ。顔が綻んだとき普段は無愛想な表情の中から優しさがこぼれる。ちょっといい加減なところはあるけれど、佐久間さんは優しい。あの人は、誰にでも優しいんだろうな。もちろん奥さんにも、子供にも。  あれからもうじき九ヶ月が過ぎようとしている。九ヶ月というのは宙ぶらりんでいると焦るくらい長いけれど、慣れてしまえばなんでもない時間だ。

「音楽が止まりましたよ」縫いぐるみのウサギがさとしてくれた。

「何か掛けなきゃね」

「今日はいい天気ですからね」

 ウサギはいつも丁寧語で喋る。祖母みたいだ。新聞を踏んだらおりこうになれませんよと犬に言い聞かせていた祖母。

 立ち上がって、寝室兼リビングにいき、ミニコンポからCDを出す。次ぎは何を聞こうか。こんな晴れた日はオペラにしようか。カーディガンズなんかもいいかな。でもビートは今はいらない。シューベルトにしよう。そう思ってCDケースを開きかけたけれど、やはりシューベルトはやめてリストにした。

 何の飾り気もない真っ白な壁。スプレー缶であなたのイニシャルを殴り書きしたくなる。

 ベッドが目に入った。毛布が乱れている。ベッドから出た時にきちんと直そうと常々思っているのに、目が覚めたときにはそんなことはすっかり忘れていて、だからベッドはいつも乱れている。直そうと思ってそばまで行ったけれど、なんとなく座り込んで皺になったシーツの上に頬をのせる。綿の匂いをかぐのは心地いい。リストを聴いていた晩に佐久間さんが訪ねてきたことを思い出す。夜遅くに家庭から抜け出してきた佐久間さん。今からすぐにいくよと電話をしておきながらずいぶんと待たされた。ケージ越し、にゃんこさんを相手に時間をつぶした。にゃんこさんが先に気が付いてケージを叩くので振り返ると、ベランダの扉の向こう側にいたあの夜の佐久間さん。夜遅くにドアをノックされるのは好きじゃない。忍ぶようにしてやって来る彼に当て付けて言ったのを気にしたのか、その晩彼はベランダの方からやって来た。忍ぶようにやって来たのにちがいはないのに。笑っちゃう。ベッドに顔を伏せてひとりで笑ってしまう。

 あの晩、感情が高ぶって夜遅い時間まで打ち明け話をしたふたり。ひそひそとこの部屋で、それまで誰にも言わなかった秘密を深夜に話していると、テトラポットをくぐる魚のような気持ちになる。

「コーヒーが冷めてしまいますよ」縫いぐるみのウサギがも一つ諭してくれた。

 キッチンに戻って座る。

「もう冷めちゃった」

「だめな人ですねほんとにだめ」