Stranger

「東京って町はさ、江戸城を中心に『の』の字に開拓されたんだって」
なんかの話のはずみでそんな事を言ったあとで、僕ははっとして康之の顔色をうかがった。
 康之は僕が東京の話をするのを嫌がる。康之はやっぱりちょっとうんざりした顔をした。京都の人はみんなうんざりしている。僕は視線を泳がせながら言い訳を始めた。
「いや、世界ふしぎ発見でやってたんだよ。『の』の字にぐるぐると広がっていけば、永遠に発展し続けられるだろ? そういう願いを込めて作った町なんだって」
「へえ、そうなん? そら、ええこと聞いたわ」康之は思いのほか目を輝かせてくれた。「京都の逆やな。京都は碁盤の目みたいやからな」
 長い睫毛が弾かれる。ポツポツ、と白い紙に青いインクをたらす音が聞こえてきそうな、そんな康之の瞬き。
 築百年の町家を改装して作られたカフェの奥の席に、二人は浅く腰掛けて向かい合っていた。日曜日のもう遅い時間で、僕はあと少ししたら帰らなければならなかった。康之は、色を抜いた髪の前髪を指先で立たせながら、時々、濡れたまなざしでガラス越しの表通りを気にしている。遅い時間で、往来はほとんどなかった。彼は知人に見られることを怖れているのだろうか。カフェは遅い時間にも関わらず、男女のカップルで込んでいた。一人客も何人かいた。表に停めてある自転車は一人客のものだろうか。
 京都という町は特別な町だと僕は思う。康之がいつも言うように碁盤の目のようで余所者にはわかりやすそうでわかりにくく、もしかすると人によってはわかりやすいのかもしれない。小さな、整然とした町の閉塞感。ごみごみした都会に慣れている僕には息苦しいくらいきちっとしていて、けれども得体の知れない魅力をはらんでいる町だと思う。夜になると特に。宵の空の低さはあまりにも端正で、思わず襟を正してしまう。
 転勤で大阪に移り住んでから七ヶ月目に、大阪のバーで康之と出会った。大阪で出会った晩の康之は気さくで親しみやすかった。酒の勢いもあってその晩のうちに僕たちは出来てしまった。けれど僕が京都に通うようになってからは、彼は打ち解けるどころか逆に他人行儀だった。
 十九時半のカフェ。康之は時計を見た。
 もう帰って欲しいのか。
「そういや、お母さんとは仲直りしたん?」康之は目を余所に投げたまま聞いた。
「いや。もう口もききたくない」
「そういうこと言わんとき」
 目をあわせようともしない康之。
 知り合って以来、肌を重ねたのは数回だけだ。けれども、飽きるどころか数を重ねるごとに体への思いは募った。それは康之も同じだと確信している。彼は時々、大阪まで車を走らせて僕の部屋まで来る。そして咽るような声をあげて僕を抱くのだった。
 けれども僕がこうして日曜日に京都を訪ねてもどこか他人行儀だった。
「同情してるだけだろ?」飲み干したカフェオレのカップ。煙草の灰を灰皿に落としながら僕は彼をまっすぐに見つめてみた。「関西にひとりぽっちで来ておろおろしてる俺に同情して付き合ってるんだろ?」
「何言うとんのや」
 康之は慌てて周囲を見回した。僕は笑った。僕はサプライズが好きなのだ。慌てた瞬間の康之の顔がなんともいとおしかった。
「ほな、いこか。もう帰らなあかんわ」僕は変な大阪弁で言った。そして会計の伝票を康之の前に押し付けて席を立った。電車賃払ろうて来とるんやからお茶代くらい出してもろても当然やで(心の中で)。
 カフェの表で、康之が会計を済ませるのを待っていた。辺りは民家ばかりで、屋根が低い。ぽつりと佇む洒落たカフェ。十二月の京都はとても寒く、とても静かで気が狂いそうになる。
「そこまで送るわ」康之が言った。
「うん」
 自然と肩を並べてまっすぐな道を下った。本当にまっすぐな道。京都に生まれ、京都に育つということは特別なことなのだと思う。
「おかあさんと仲直りしいや」
「・・・・」気が狂いそうになる。
「正月くらい帰らんとな」
京都から一度も出たことのない康之。この碁盤の目から出た事がない、商家の若旦那。けれどもどこか反抗的な濡れた瞳。彼は家族とか伝統とか人間関係とか、そういう類の事では十歳年上の僕なんかよりずっと老成しているのだと思う。この閉ざされた町で、彼は僕より色んな事を知っているのだと思う。ただ外の世界の事を知らないだけで。彼が怖くなる。
「この先にコムデギャルソンのショップがあるんやで」僕は歩みを速めた。来る前から、八時に閉店だと前もって調べていたのだった。「ちょい、寄ってもええ?」
「ええけど」
 民家が建ち並ぶ通りに真っ黒な建物がある。外からは黒いかたまりにしか見えない。外から何も窺い知れない黒い建物。夜になると、足元だけキャンドルで照らされ、細い通路で奥へと導かれる。
 細い通路を通り抜けると、まばゆいくらい照明を明るくした店内。
「すいません、まだ大丈夫ですか」あと二十分あるのはわかっている。
「どうぞ、ごゆっくり」
 京都の人は皆、観光客にうんざりしている。うんざりしていると同時に何にもくくられていない余所の人にコンプレックスを持っている。自分が知らない碁盤の目の外の世界に妄想を抱いている。
奥の奥にあるはしごみたいな金属の階段を上がり、ロフトのような二階に上がった。京都は奥に行けば行くほど高いものを置いている。僕の妄想か?
 並べられていたマフラーを少しさわってみる。素晴らしい生地だと思う。
「そちらはクリスマス企画商品になっておりまして」少しさわっただけなのに、店員が言った。僕は少し不機嫌になった。けれども悔しいくらいキレイなマフラーだった。僕は手に取った。それから鏡越しに合わせてみた。
「今の時期だけの限定商品です」
「これください」僕だって地元の人には時々うんざりさせられるのだ。
 支払いを済ませ、商品が包まれる間、レジから少し離れた商品を眺めていた。
「なんや、ぱっぱと買うんやなあ」康之が呆れたような、感心したような言い方をした。僕だってうんざりすることが山ほどあるんだ!
「すいません」商品を包んでいる店員を僕は止めた。
「それ、包まなくていいです。巻いていきます。外、寒いから」
「はあ」
 ぽかんとしている店員からマフラーを受け取り、さっと風を切るようにマフラーを首に引っ掛け、僕は抜けるように店を出た。康之があとから追ってくる。
「たっちゃん、その先まで送ってく」康之が言った。僕は無視した。二人は無言のまま歩き続けた。しばらく歩き続けた・
「なあ、たっちゃん、ほな、僕あっちやから、ここで」彼が言った。どうやって通りを見分けているのか、この男は。
 立ち止まり、無言で康之を見詰める。夜空の下で、食い入るように見つめる。じっと見つめ、食べたいほど見つめる。肉食動物の目で。
「今度は僕が大阪いくからな、ええ子しとってや」
 二人の距離。僕はそれでも彼を見つめた。
「睨まんといてえな」
 この男は、きっとこれから先もこの町を出ることはないんだろうと思った。それでもずっと、余所の男を食い続けるのだろうと思った。
 僕は首に掛けていたマフラーをとり、康之の首にさっと巻いた。
「これ、やる。クリスマスプレゼント」
 きょとんとしている康之に背を向け、僕は歩き出した。首が寒い。まじ? これ? あ、ありがとう。後ろから声をかける康之を振り返らず、僕は歩き続けた。大通りまで出てタクシーを拾って駅へ向かった。どの角度から見ても整然としている街並みを、車窓から眺めた。康之はきっと、あのプレゼントの仕方は僕の演出だと気付いているはずだ。このちぐはぐで覚束ないやり方が、僕らの恋の道程なのだと、気付いているはずだ。この町は僕の記憶に強く残るだろうと思った。康之と触れ合う季節がずっと記憶に残るだろうと思った。僕はどこへ行っても余所者だけれど、そのままで季節に包まっていようと思った。ちょっとだけ他人の肩に寄りかかって、歩いていこうと思った。時には押付けてみたり、肩代わりさせてみたりして。どこかにたどり着くわけでもなく、自分から逃れられないまま、そしてそのままを、あきらめながら。

コム・デ・ギャルソン京都店で購入したクリスマス企画のマフラー。この作品のアイテムとして使用しました。

(終)