文芸作品「破壊」

作・リュッツォ

 

 厳島へと渡るフェリーボートの客室に座っていた十六歳のわたし。瞼の裏側に今でもありありと思い描けるあの時の光景。フェリーボートの航跡はしだいに暮れなずむ闇に呑まれ、故郷の宵に波が散ってゆく。船の跡に残る木賊色の波が、宵闇の中で暗緑色の海に翻っては戻ってゆく。島は端然と佇み、夕暮れ時の森は全体的に影を帯びてより鬱蒼と見える。

   宮島口から厳島へと渡るフェリーボートの船着場は、大晦日の夕暮れになると観光客の人だかりで混雑する。あの周辺地域にはよそ者をよそ者だと呼ぶような地域性はなく、来るもの拒まずで迎え入れていた。そして旅人たちの方でも、ただ旅人であればよかった。きっと、厳島が持つ厳かさ、人を敬虔な気持ちにさせる厳かさのせいだ。人々に許されるのは、ただ口を噤んで旅を続け、時々旅の土産話しを交換することだけだ。

 厳島は海の上に凛々しく正座してして、誰をも迎え入れてくれる懐の深さを持っている。こちらから会いに踏み込んでゆく、というよりも、あちらの方で海の上に正座して待っていてくれるような開かれた安心感がある。

 もしも神が助け舟を出してくれるとしたら、やはり神は海から来るのだとわたしは思う。わたしにとって神とは瀬戸内の神々のことで、もしもわたしがみずぎわで泣きくれているとき救いにきてくれるとしたら、やはり神は海からおいでなのだろうと思う。

 厳島には多くの人が恋をする。歴史に名を馳せる人たちが恋してきた厳島。けれども結果残ったのはあの島だけで、みな片思いのまま散ってゆく。わたしも厳島に片思いのまま散ってゆくのだろう。厳島はずっと、あそこにおいでなのであろう。

 三十五年前、穏やかな海に航跡を残しながら宮島口から厳島へと向かうフェリーボートの客席で、十六歳だったわたしは、初詣の観光客にまぎれて座っていた。初めて金を稼ぎに行くというようなご大層な感慨はなかった。高校の同級生に誘われた厳島でのアルバイトにわたしも手を挙げ、冬休みに小遣い稼ぎをしに行くだけだと思っていた。わたしは厳島の対岸に生まれ育ち、地元で小遣いを得ようとしていたにすぎなかった。

 宮島のもみじ饅頭屋の工場で、自動ラインから流れてくるもみじ饅頭をピッキングして箱詰めする作業。高校生可。時給は七百円か八百円くらいのごくありきたりなアルバイトに思えたあのアルバイト。三十五年前の当時はバブルの活況の中にあり、また決定的に今のわたしとちがう十六歳のわたしは、美少年だった。

 今、瞼に浮かぶあの時の映像を見つめているだけで、映画になる。行く手には暮れなずむ厳島が横たわり、空には広大無辺の宵が降り立ち、そして客室のよそよそしい蛍光灯の灯りの中で、十六歳の美少年がコートの襟をかき合わせている。あの頃はセールでしか服なんて買えない身分だったから、おそらくコーディネートらしいコーディネートもできていない、垢抜けない田舎者に見えただろう。

 けれども結果、五十年生きてきて、わたしが世界中のどの都市の都会人にも美意識において負けたと思っていないのは、あの神々しい厳島を見ながら育ったという自負だ。

 服装はとても大切なアイテムではある。けれどもあの島に向かうフェリーボートの中の十六歳の美少年ならば、何を着ていても絵になったにちがいない。

 暮れなずむ大野瀬戸の冬の夕暮れの映像が動いてゆく。厳島へと向かうフェリーボートの客室に、観光客とともに、年末のアルバイトをしに行く高校生のわたしが座っている。背もたれにもたれた高校生はコートの襟をかき合わせた後、一度だけポケットの中に手を隠して拳を握りしめた。これから生まれて初めて金を稼ぐのだと、気を引き締めたのかもしれない。

 夕闇の中、穏やかな波のうねりが船窓の向こうを流れてゆく。

 夕暮れ時に厳島へ渡ったのは、アルバイトが夜勤のシフトから始まるからだった。

 わたしが十六歳だった一九八五年の、大晦日だった。

 世間はバブルに沸いていたあの明るい世情で、事業に失敗した父にお小遣いをもらえない少年は、自分の足で稼ぎに出かけたのだった。父親はアルコールで体を壊し、黒ずんだ死人のような顔で居間に座っている。美少年は外の世界へ出ようとしている。少年はファッションに飢えていた。当時はデザイナーズブランドの服が主流で、少年はブランド物の服が欲しかった。コム・デ・ギャルソンのジャケットが。

 そして少年は、服が自分に似合うのは当然で、金さえあれば服を買えると知っていた。そう、少年は顔が美しく、そして手足も長くすらっとしていた。今のわたしのように小太りではなくて。

 だから当たり前だったのだ。若くて綺麗な少年に服が似合う。ごく当たり前のことだ。少年は自惚れていたわけでもなんでもなくて、ごく当たり前のことを知っていたにすぎなかった、自分にはその服が似合うであろうと。

 あの、地方の高校生たちが憧れていたファション雑誌でモデルが着ていたコム・デ・ギャルソンの千鳥格子のジャケット。今でもどんな写真で、モデルがどんなポーズを取っていたかよく覚えている。別段気取ったポーズではなく、普段の自然なポーズを取ったモデルが着ていたモノトーン時代の洗練されたジャケット。あれが欲しかった。

 少年だったわたしはカセットテープのレコーダーも欲しかった。AKAIのレコーダーで、あれを買えば友人に洋楽のアルバムを借りた時に録音ができるようになる。どちらを買おうか迷っていた。まだまだこの手で取り返せる、父が事業に失敗しても、勉強して東京の大学に行けばまだやり直せる、そう信じていた。そして、そういった袋小路からの脱却は、若いうちは人の支えもあって確かに成功する。世の中は決して悪いところではない。捨てる神あらば拾う神あり、だ。このアルバイトにしてみても、まさに少年がそれを実感するきっかけだった。

 宮島口の桟橋を出たフェリーボートは十五分もあれば宮島に到着する。多くの中国人観光客が河だと勘違いする大野瀬戸を渡るのにそう時間はかからない。十五分のうち海を渡っているのはもっと少ない時間だろう。

 宮島口に立つと厳島は目の前に見える。本当に近くて厳島が巨大に見える。その短い距離を渡るフェリーボートは揺れることもなく穏やかに進み、波の優しい海をかきわけてかきわけて厳島に届く。厳島が目の前に見えるので、空の広大さはあまり感じられない。夜になると特にそうだ。厳島の森だけが迫ってくる。濃くなった森、しんとした森が迫ってくる。青ざめた客室の蛍光灯。フェリーの客席はいつも静かで、それがまた厳島らしい。あの、たった十五分間の映像が今でもよみがえる。わたしは一人の乗客にすぎなかった。

続きはKindleで😀 Kindle Unlimited参加中 ↓

破壊