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Badi 2000年2月掲載ゲイ小説「調香師」

 それから三日後の十九時四十分、僕は川村と新宿の高層ビルにあるイタリアンレストランの窓辺の席にいた。あの後、川村が誘ってくれ、そして僕はそれを受け入れたのだった。眼下には東京の夜景が広がっていた。これからしばらく穏やかな気候が続きそうな気配だった。今年は猛暑だったから、きっと冬が来るのが早いだろうと言う人々もいた。この冬は暖冬だろうと言う人々もいた。人々の意見は大抵どちらかに分かれた。
 照明はやさしい。聞き覚えのあるピアノのメロディー。
「ほんとに誘ってくれるとは思いませんでしたよ」僕はよそ行きの顔だったが、どこか打ち解けた口をきいていた。
 川村は答えず、黄色い照明の下、やさしい微笑みを浮かべた。一瞬の沈黙。僕は、何か喋らなければと口を開きかけた。その時、彼が煙草に火をつけた。僕は言いかけた言葉をのみ込み、つられるようにして煙草に火を付けた。
「パフューマーって、煙草は吸っちゃダメだって聞きましたけど」
「基本的には、ね」
 そのとき男は調香師であることをやめていた。謎めいた感じがした。パフューマーというベールの向こうに何があるのか。ああ、僕はこの人に恋してしまうんだろうな。そんな予感がした。
 赤ワインが運ばれてきた。二人は軽く乾杯した。程無く、料理も運ばれてきた。二人は無言で酒を飲み、食事をした。辺りのテーブルから低く会話が漏れ聞こえる。いくぶん高い、食器のきしむ音。無言の食事は速やかに終わった。僕は再び煙草をくわえた。川村は吸わなかった。
「お子さんはいらっしゃるんですか」なんでこんなバカなこと聞いているのか。
「ああ、一人」
 僕は次の質問をすることが出来ず川村の目を見つめた。しばらく二人の目が合っていた。川村は、酔ったのかい、と尋ねた。僕は首を軽く横に振った。確かずっと昔にも同じようなシーンがあったかな。思い出せない。
「そうだ」川村は突然張りある声を出した。
「キミに言われて調合し直したんだ。また試してくれるかな」
 彼は鞄の中から小瓶を取り出した。それから、中の液体を人差し指にすくい取って僕を待った。操られるように、僕は腕を差し出した。川村は僕の手首に指を擦り付けた。刃物で切り裂くようにして。
「どうだい」
 手首を鼻に近付けたり、遠ざけたり、鼻先で揺らしてみたり、もしかすると、故意に焦らしていたのかもしれない。単に酔っていただけなのかもしれない。
「わからないや」
 どうでもいいというふうに言った僕は、それからけらけらと声を上げて笑った。彼もつられて笑った。
「だけど、この前のと全然違うね」
「ああ」
 二人はまた声を上げて笑った。やわらかな照明の中、笑い声は少しずつ小さくなってやがて消えた。低い音楽。自然と、二人の目が合った。そしてその瞬間、僕は何もかも見抜いてしまった。僕がまた、懲りもせず、痛い思いをするであろうことを。
「そろそろ出ようか」
「うん」に僕は呟くようにうなずいたあと、煙草の火をもみ消した。
 店を出てからエレベーターまでの短い距離、僕は川村の少し後ろを、うつむき加減に歩いていた。少し猫背なスーツ姿。子供の頃、よく母親に背筋を伸ばすよう注意されたっけな。エレベーターに乗ると、川村はため息をつきながら壁にもたれた。他に人はいなかった。僕は彼の隣に並んで彼の顔を見上げた。
「川村さんって、意外と背が高いんだね。いつも、研究室で座ってるから、わからなかったよ」僕は少し酔った振りをした。
 彼は僕の顔から目を逸らし、しばらく戸惑った様子を見せていたが、やがて僕の腰に腕を回した。僕は目を閉じ、少しだけ彼のほうに寄り掛かった。彼は黙っていた。僕も黙っていた。二人は黙っていた。


タテイシユウスケ名義でのデビュー作にしてBadi 2000年2月号掲載作の「調香師」という作品の抜粋です。ちょうどこの季節とラストが重なっていることから、今回ご紹介しようと思いました。

少しトーンダウンした作品で、BL小説の中では少し斬新な感覚があるかもしれません。約20年前の掲載時にも斬新な作風として反響をいただきましたが、現在でもBLの主流作品群とは少しちがっているかと思います。

書いたときは香料業界の調香師を題材にしたゲイ小説が書いてみたかったというのがありました。しかし基本的にはゲイの恋愛小説です。

性描写というか、エロは控え目です。というか、ほぼエロ目線では読めない作品ですので、読み物が好きな方向けです。

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調香師: 2000年Badi掲載作品(ゲイ雑誌)