サイアム・パープル1

この紫のスイレンのために、池を掘った
オーロラをあきらめた先に見える、
瑠璃色のムラサキの呪われた睡蓮

かなりの陽射し無しでは咲かず、
陽当たりの良い場所に池を掘った

二年越し
ようやく蕾を上げ、
念願の開花

太陽が黄道を昇りはじめた時の、一筋の光
蛍光色の、
光が射せば蛍光ピンクに見える花弁

わたしの影の中では麗しいムラサキの、
どうやって注入したのか、
青い色素を与えられた、
モネですら見れなかった青い耐寒スイレン

球根と根っこの不吉な交配種
新鮮な朝にすっくと凛

温帯スイレンと
熱帯スイレンの
亜属間交配種

沈みゆく太陽の先の王者
青い南西の根も南西

ここまで邪悪である以上
祝福を待った甲斐はあった

ついにこのような交配がなされた今
もはや、出生などに道筋も行方もない

この呪われた屋敷に
いつまでも咲き続けるがよい

すべては存在し、
存在するものがすべてだという空性の孤独

その孤独を見つめてしまった以上、
孤独に歯止めがかからなくなってしまった

クリスマスローズの花

まだ春遠い寒い春のひそか雨
うつむいたクリスマスローズの花弁を雨がつたう
余寒はゆるみ、
深い朧雲にも気分は沈まない

暗黒の闇にLEDのユリが花ひらく
それはそれはうっとりと、
眼前で開いてゆく
そんな幻覚を見た

深海から始まった竜の物語りは牡牛座を離れ
マジョルカ島を離れたリヴィドゥスは極東へ向かった

やわらかい受粉を経て二重になる
わたしの王子様は老化で二重

クリスマスローズの花の、
花弁に見立てられているのはガクが進化したものだそうだ
寒い冬を越すと黒くなる品種まで作られた

シングル、ダブル、セミダブル
この荒んでゆく丘を、
冬を越えて潤し、
けれども酷暑に落ちるものもある

水に溺れて

喜雨に喉が乾く
雨が降ると喉が乾く

わたしは水を飲む
ごくごくと何杯でも水を飲む

飲み過ぎて飲み水に溺れてしまうほどに飲む
睡眠薬の副作用で水中毒になり
ひたすらに水を求めて水を飲む
水に溺れるほどに

夕暮れの薄い陽射し
ヴァイオレットにきらめくグラス

薄花色の水、
菫色の水滴の群れが、
喉を流れて川になる

わたしは呪いの川になり、
そしてまた喜雨に苦しみ
喜雨のかぐわしさに溺れる

雨の日の水恋し
水無しでは生きられず
水に溺れる

薄い薄鼠色の綺麗な水
透明に光って
光を通す

蛇口から出る
芳しく懐かしい水

濁流にはならず
細胞を潤す
喜雨の水恋し

読む、読まれる

欠けた半月が
また半月に戻り
そしてまた満ちてゆく
陰暦でごさる

イマはムカシ、
洗濯洗剤の空き箱を集めては
組み立ててお城を作る男の子がいた
男の子はお城の中にこもっていた

小学校にあがり、
作文の課題が出た

赤い鳥が宝箱の鍵をくわえて飛んで逃げてしまいました、
この物語の続きを書きなさい、
紙が足りない生徒はいくらでもあげます

男の子は薄暗くなるまで書き続けた
男の子が六枚目を要求した時、
先生は言った、
「そろそろ終わりにしてくれないかな?
みんな帰っちゃったよ」

読むということは、
作者への最大の冒涜にあたりうる

わたし自身、
読まれることに抗議したことも

しかし、

デュラスと鏡花に懇願した
お願いです、
跪きます、
あと少し冒涜させてください
それでも冒涜させてください、と

わたしにとって、もはや、
書くことは瀬戸内の神々への奉納になった

故郷、美しき厳島に宿る
極彩色の神々

書くことは舞踊に似ている
足を踏みならし
血が沸き立つ舞踊

読まれることは、
供養されること

苔むす石になり
転がってはすり減る石になること

The day before that day

あの、錯乱した日の前日
記憶は朧げ

カストルがあなたで
ポルックスがわたし

ずっと前は双子座だったのかもしれないけれど
大神ゼウスに叱られてしまって
二人は離れ離れになった

ひとりきりになってしまったわたしは、
あなたの面影を探して鏡に向かった

眉毛があって、
目があって、
鼻と口があって
あなたもこんなだったろうか、と

誰が誰だか、もう顔もわからなくなり
鏡を見ているうちに老いさらばえて、
自分の蒼ざめた顔が、
上品な紳士に見えるようになった

このまま老けて死滅してしまうのだろうと、
プレアデス星の方角を眺めていた

楓、揺れて
星を書き留める

これは才能なのか、
狂気なのか、わからないまま、
朽ちてゆく煤色のペンを走らせた

寒く、凍えそうで厚着をしていた
あなたと出会う三ヶ月前のとある寒い
十一月二十九日

ナイトガウンの襟をかき合わせ
寒いのに水を飲む

水を飲む
とにかく水を飲む
ゴクゴクと水を飲む

いつか出逢うあなたとのことを
滲ませるように童話に書き
あなたを忘れていた

あの時のわたしは、
前世の記憶に呼ばれていたかもしれない

空のあらゆる現象
雲、雨、雪花、峠の声

わたしはなぜこの地にいるのだろう
ふと我に返り

嘆くことすら禁止され
わたしは風景の一部に取り込まれているに過ぎない、と

この、野に返りそうな丘
草木は冬支度
ただ、風景の片鱗であることに甘んじていた
そして、風景のパズルピースであるほうがよかった

目眩だけに、溺れていた
その壮大な無言劇の錦絵が、
海馬に飾られていた

The day it happened….

空から「ダフニスとクロエ」の合唱が降り注いで来そうな青空の下、
アンゴラ公国製の青い自転車でヨロヨロと走った
 
とにかくその数日間はしんどく
病気で死ぬのなら許してもらえる、
それほどしんどく
 
病気で死ぬのなら許してもらえる、
そう思った
 
狂って死なれたらたまったもんじゃない、だろうし
病気なら、許してくれるだろうか、と
 
肩で息するほど苦しく、
汗に塗れ
 
上げ扇の空
月もなく
 
夕食の時、
「わしは今日死ぬんじゃろうか?」
と母に尋ねるほど苦しく
 
「バカなこと言いんさんな」
 
二ヶ月風呂に入っていなかったが、
身体は臭くなかった
 
死ぬ前にキレイにしておこう、と
なんとか無理して風呂に入った
 
足の甲が黒ずんでいたので掌で擦ってみたら、
垢がポロポロと落ちた
 
風呂上がり、
体を拭いて、スウェットを着た
 
なぜボロボロのパジャマに着替え直したのか、
記憶がない
 
あとは初恋の人ぞ知る
 
あの、初恋の医師が、
わたしを覗き込む
 
錯乱状態に陥ったわたしの目にライトを当て
「上見て!」
 
わたしは長い夢を見ていたのに
その指示には従った
 
彼の医師が湖の上から覗き込み
わたしは溺れて沈む白鳥
 
わたしは気絶して
錯乱していたらしい
 
あの、たった1秒か2秒の医師の面影
ダフニスとクロエの合唱ほどの闇の、
湖の上の人
 
水底で気泡をぷくぷくと吹いていたわたしを見つけた
あの深夜の、蒼ざめた神性
わたしの瞳の手紙を読んでくれた人

ラヴェル作曲バレエ、ダフニスとクロエ

SACDです。ご注意ください。

シャガールがダフニスとクロエをテーマに絵を描いていると去年シャガールの展示会で知りました。

落ちぶれたときそこにいる人

寝待ち月の晩も月を待つ
金星を探すこともあるのよ、
運が良ければ縁側から見えるから

チュベローズに月下美人

太陽が落ちた時、
たかが月が何の助けになろうか

それでも花を香らすくらいなら、
月も役に立つかもしれない

夜咲のスイレンを待ってみようか
月の艶の中で開く花びらを見てみたい

わたしが砕け散って流れた時、
あなたはそこにいてくれる?
落人が逃げゆく影になれる?

わたしはあなたの影でありたい
あなたの影が、
ひとつひとつ減っていっても
わたしの影はまだそこにある

そして、
わたしが落ちぶれたとき、
そこには必ず自分の影がある
落ちぶれたわたしを包む碧い影