見て

見て わたしを見て

少しでいいから見て

ほんの一瞥でいいからまっすぐに見て

わたしは目を伏せる

見ないで

ここに誰もいないかのように振る舞って

わたしなんていないかのようにして

わたしに顔なんかないかのように

独り言を言うようにしていて

あいつと会ってるんだ

あいつ、

一重だっけ

二重だったっけ

少しでもあなたに傷を残せるなら

少しでもこちらに目を向けてくれるなら

お月様

泣きたい時に月を見上げると満月のことがある。

満月はわたしを無残な気持ちにさせることがある。

でもわたしは月に対してはもう諦めきっていて、

きっと月はわたしの慰めにはならないのだろうと、

見極めている

それでも月を眺めてしまうのは、

きっと、

月への憧憬。

あの、死んでしまったペットたちがいる、

殴ったりする親はいないはずの月。

上げ扇の満月。

白い光

輝かない光に包まれることがある

均一な乳白色に

すっと消えてしまうように包まれる

孤独と幸福がいちどきに押し寄せてくることがあるの

膨れあがって 震えてしまう

あなたがわたしの唇に

そう この不出来な唇に

そっと触れるとき

走って 走って 息を切らせて

あなたの息遣いが間近に

雑念も雑踏も遠ざかって

耳の中から広がってくるの

乳白色の白い光が

フジコの、破壊された荘厳なラ・カンパネラに光をみる

演奏前の会場。本当は撮影禁止(^_^;) 公演は満席でした。

永遠の少女。彼女がリストを弾く時その手には神が宿る….。

明かりが灯った時、ピアノの前に座っていたのは86歳の老女だった。

歩行器で歩くのを見られたくなくて、行き来する時は毎たび照明を落とすように命じていた。

背中は曲がり、もう諦めたような目をしている。

演奏が始まると、彼女のレパートリーが何曲か演奏される。わたしがどうにもならない暗いトンネルの中を歩いていた時に聴いていたのと同じ曲でも、彼女から響き渡る音色は鮮やかに生きていた。

時に足を踏み鳴らしたくなるくらい、音に艶があった。そして、彼女の代名詞になったリストのラ・カンパネラ….。

わたしにはこんな光景が見えた。

ひっそりとした夜に聳え立つ城壁に、盗っ人が最初の一歩を繰り出す。
彼は城壁を音もなく這い上ってゆく。
緻密な動きで、計算し、あらかじめ計画していたように城壁を這い上る。星々は煌めき、しかし月には雲。

盗っ人は城壁の頂点まで登り、さらに上のお城にロープをかけた。ロープを這い上がってゆく。誰一人として起きていない夜、寝静まった夜に。

その城の中に、眠れない王女がいた。

王女は透かし彫りの燭台にロウソクを灯し、あの恋しい、禁じられた恋人、敵国の王子を想っていた。

部屋を彷徨い、窓辺にいき、眼下を見下ろす。

ロープを登っている侵入者、さっきの盗っ人だ。

王女は慌てず、懐剣を取り出し、窓を開けてロープを切ろうとした。
ロープにナイフをあて、ギシギシと麻の縄を切ろうと擦る。
気付いた盗っ人も、こちらも慌てなかった。
さらによじ登り、王女の部屋に近づいた。

王女は透かし彫りの燭台を翳し、盗っ人の顔を映す。
その、暗がりに浮かんだ顔。
あまりの色気の絶品の男に、そのとき王女は恋をしてしまった…..。
盗っ人は、ほくそ笑む。

しかし、緻密な時間の配分と均衡で、切り掛けのロープが解けて切れてしまう、そのロープの縄の旋回は限界ギリギリの遠心力で王女の恋人、敵国の王子を忘れさせる。

「助けなきゃ。」
王女は盗っ人を愛してしまった。
だが、時すでに遅し。

ロープは切れ行き、盗っ人の顔から血の気が退く。
それでも盗っ人の美しい顔は絶妙な色気を湛えている。

王女は、自分も一緒に落ちてもいい、とすら思った…。
王女が恋人を捨てて窓から飛び降りようとした瞬間、
この、敵国の王子や盗人を愛してやまない碌でもない女に制裁が与えられる。

キラキラと光るような音色を奏でながら、城壁の石垣が下から崩れ始めたのだった。
雷鳴が轟き、
黒雲は割れて空に穴が空き、
暗黒から光が射した。

光に照らされた城は高貴な色に輝き、
けれども城は土台から崩れてゆく。

不思議なほど麗しい、均一なモデラートで….。
まるでメトロノームに合わせて歌うように、
城が崩れてゆく。

王女の足元が掬われ、盗っ人の顔、
間近に。

二人は光の中で見つめ合い、
そして世界は暗転した。

(終)

2019年5月1日、フジコ・ヘミングさんの広島公演に行ってきました。わたしは西暦で生活しているので、元号が変わる日だとよくわかっていなかったですけど(^_^;)

一応、元号が変わるお祝いとのことでした。

フジコさん、足をお怪我されたということで、ステージの照明を落とした状態で歩行器でピアノまで歩き、演奏を終えた後もまた照明を落として去って行きました。

音楽的な解説をすると音楽評論家や音楽に詳しい人にはかなわないので、わたしは今回、フジコさんのラ・カンパネラに焦点を当てて、妄想小説を書いてみました^^;

いえ、出だしから彼女のレパートリーばかりでとても楽しかったです。彼女のCDで何度も聴いている曲、特にショパンのノクターンなんて、わたしが一番辛い思いをしていた時に聴いていた曲で、奏者も曲も同じはずなのに、目の前で演奏されると、「生きていきなさい。」とフジコさんに話しかけられているようです。

本当にツヤツヤと生命を感じる音色です。(ピアノが高い楽器だというのは納得(笑)

フジコさんがブレイクした2000年頃からずっとフォローしてコンサートも結構行きましたが、今回は特に感動しました。

年齢的に、通しでソロコンサートをするのがやはりお辛いんでしょうかね、ピアノ曲の演奏は40分で終えて、休憩を挟んでオーケストラに2曲ほど演奏させ、それからモーツアルトのピアノ協奏曲で締めました。

昔のフジコさんなら多分、アンコールも弾いたでしょうけど、これ以上コキ使っちゃいけません(笑)

行き来するときは歩行器で、やはり見られたくないんでしょうね、照明を落としていました。

で、まずビジュアル的に、薄暗がりの中86歳の老女が歩行器で歩く影が見えて、ライト。もう背中も曲がっている老女が、まだまだ現役のピアノ演奏をするわけですから、それだけでもすごいです。

フジコさん、おそらく70年間はラ・カンパネラ弾いているんじゃないかと思います。一番若い時の音源はハツラツと弾いてらっしゃいました。それから70年、色んな思いをしながらこの曲を弾き続け、技術的なことを指摘される面もあるでしょうが、この、壊れそうで壊れない、ぶっ壊れているのに美しい、壊滅的なほどまとっているのにダイナミックな、感情を揺さぶられる演奏は、やはりフジコさんにしかできないでしょうね。

わたしも広島県に戻ってからはなかなかフジコさん行く機会がなくて、おそらくコンサートでは10年以上ぶりだと思います。

ずっとCDで聴いてきましたが、やはり生演奏は音がいいです!

それだけでも嬉しかったし、細かな、なんていうんでしょう、CDとかでは目立たないディテールが、生演奏では各々主張していて、とても良かったです。

また別の機会に詳しく書けたらいいと思いますが、能楽にしても、クラシックにしても、現代音楽、舞台にしても、自分も一緒になって足を踏み鳴らしたくなる、のめり込んでみる、っていうのが大切かと思います。

能楽を例にあげますけれど、白州正子さんの能楽の解説書にあるように、元々は芸術というのは神に奉納したり、神に捧げ、自分が楽しむためにできたもので、それを一緒に楽しみたいという人が集まり始めて観客席ができたわけですから、例えば能楽だと(気持ちの中では)一緒に踊ったり、一緒に謡をしたり、というのが一番の楽しみ方のようです。

特に能楽は、客席に能の謡の本を広げている方が結構いるんですよね。

「今噂になってる素晴らしい芸術だと聞いたから」とお客様で行くのも観客ですが、のめり込んで見るのも楽しいかと思います。

個人的には、ラ・カンパネラ以外はウトウトと眠っている周りのお客さんがある意味羨ましかったです(笑)

フジコ・ヘミングがピアノ弾いている前で眠れるって、すごい贅沢ですよね(笑)

いい夢見れそう(笑)

ではこの辺で(^_^)