厳島神社桃花祭御神能「羽衣」

 わたしが生まれたのはまさに広島県の宮島の地域で、この、水平線が見えない瀬戸内海がわたしの原風景でした。毎日、玄関を開けたら宮島が見える環境で育ち、宮島には何度も行っていたというのに、能舞台で能が観れることをこの歳まで知らなかったので、興味本位で行ってみました。

 日本は豊かでビビッドな色彩感覚を持った国なのだと改めて思いました。瀬戸内の日差しは強く、緑は濃く、海のグラデーションはとても美しかった。

 その風景の中に響き渡る能の謡。能は静と動の濃淡がはっきりしていると言われますが、間近で見る能楽の「動」は思っていたよりも動いていて、静との区別がはっきりと使い分けられ、その動の動きは若干不安定で、能役者が次にどんな動きを繰り出すのか目が離せなくなります。


 毎年4月に厳島神社の昇殿量300円のみで能を朝から晩まで堪能できますので、こちらにいらっしゃる機会があったらぜひ観てくださいませ。

鏡の中の罪人

敗北の日々は延々と続く
あの、死の体験の直前の蒼ざめた日々
ヨブの柩の方角に、
あの人がいることをまだ知らぬ頃
枯葉色のナイトガウンにくるまって屋敷を彷徨うわたしは、
体温に飢えていた

コルク色まぢかに迫ったスペクトルの中、
その消えゆく空気に浸透してゆく亡霊の姿のわたしは、
繰り返される無音の日々のなか消えてしまいそうだった

青白きセント・エルモの火の守護を受けず、
闇の海を渡る船
けれどもカストルとポルックスの幻影の予感に呼ばれ、

だが幻影に終わるのはむしろ僥倖
魂は柘榴色に燃える冬のガーネット・スターに吸い寄せられた
そろそろほんとうに真空の星
真空にだけ恋い焦がれ

魂を燃やすこと、
その遠い日々
思い出せない忘却の森に潜む
あの築百二十年の屋敷の廊下に埋もれた怖ろしい鏡台

わたしの顔はスカイグレーほども青く青ざめ
背は大好きなおばあちゃんみたいに屈んでいた
坊主頭の白髪がキラキラと光り
無精髭、そこだけラヴェルのソナチネのようになまめかしく
髭の白髪が美しい

死人の、涙を流してすべてを赦された顔
罪食いに罪をなすりつけたその顔
鏡の中の汚らわしいわたしは、
ゾッとするほど、美しかった

歪んだ廊下を通るたびに
鏡台の鏡に眼差しを送り
背景のコルク色から浮き立った、
青く白い顔は陰が薄く
そろそろ本当に消えるところだった

すべてが終わる一瞬前の艶かしさ
ナイトガウンの襟をかき合わせ
わたしはうっとりと老いた自分を眺めていた

最後に与えられし音符を読み解こうと
鏡の中の宙に音を探してみるが唇は動かず
ただただ、わたしは白髪の混ざった坊主頭に見惚れていた

脱色したような顔色に刻まれた判決
去りし日々の記憶を捨て
わたしは自身の顔に高貴な罪を認めた

わたしは自ら高らかに罪状を述べ
ひたすらに判決を待った
モディリアーニの絵のように男の輪郭はしぼみ
わたしは鏡に見入っていた

北極へと向かう敗北の後にも、
まだ屍の日々があると知らずに

裁判官は判決を言い渡さず、
わたしに一瞥の瞳すらくれなかった
わたしに背を向けて、荘厳なマントの裾を引き、
立ち去って行く

彼がわたしに与えたのは、
情け容赦のない赦しだったのかもしれない
すべてを赦された後、わたしは忘れ去られてしまった

真夜中の洗濯(Midnight washing)

また今宵も夜がやって来るのか
頼みもしないのに毎夜訪ねて来る喪服色の闇
もはや太陽は駆逐され、薄明さえも息を引き取った
そして今夜、テレビに死ねと言われた

わたしはただただ洗濯をした
夢見る自由さえ奪われて、
犬の唾液で黒ずんだサルのぬいぐるみ
歯ブラシで夜通しこすった
犬のおもちゃのサルを後生大事に手のひらに乗せ、
ブラシで何時間も洗濯をした

もしも夜を満たす星々が
ミラーボールみたいに大っきかったらどうだろう
ゴッホの絵の星みたいに!

空鏡が銀色一色で、大地が漆黒の黒装束で
あなたのあの凛々しい後ろ姿が
この港町にほんのりと輝いていたら
あの、あなたの、今まで出会った無数の男達をまとめ上げたような後ろ姿が
星の明かりを荘厳に背負っていたら
わたしはうっとりとするだろう

気が付くと外が白んでいた
寒いなか庭に出ると水色の空に
まだ消えない小さな星
葉の落ちた楓の枝をくぐる星
わたしはこの光景を一生忘れない

ストローで息をしているような酸素不足のこの世情にも
また太陽がやってくる
わたしはもはや夜を恐れない
怖れるものなど何もない

死ねと言われて死ぬのは
わたしにはあまりに甘美過ぎて
眠れない、眠れない、と不眠夢を見てはうわ言を呟く
ヌケヌケと寝言を囁き犬に頬ずりしながらヨダレを垂らす

暗澹たる真夜中の舞で星に吠え
月に向かって血肉の舞
この、なけなしの金で買った壮大な邪淫の歌劇
アリアのない歌劇を真夜中に演じる
老いた声で歌い、傷だらけになって星を掴み、
血まみれの王冠を戴いて血を舐める
紅の王冠を頭に乗せて一心不乱に舞い踊る

A Chainless soulに寄せて

祈らばわが祈りは一つ、
わが唇はつぶやかむ、
「いまわが抱く心のままに在らしめたまえ、
われに自由を与えたまえ」と。
さればわが日、沈みを急ぐいまこのとき、
ひたにわがもとむるもの、
生と死をつらぬきて雄々しく耐うる
鎖なき魂ひとつ。

(エミリー・ブロンテ「嵐が丘」解説中で紹介された詩「老いたるストアの徒」第2、3節。田中西二郎さんの訳をお借りしました。)

 私、リュッツォはこのエミリー・ブロンテの詩の「鎖なき魂ひとつ。」という言葉を聞いた時、何か引っかかるものを感じました。

 私が初めてエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読んだのは高校2年生、16歳か17歳の時でした。その時に、作品の解説にあるこの詩に気がついていたかどうか、記憶が定かではありません。

 当時、私の父が事業に失敗して貧しい暮らしをしていたので、田舎のボロボロの木造平屋の家に住んでいました。田舎の家だったので広さはあり、私は10畳の部屋を使っていました。もう、とにかくボロくて、壁が破れていても直せないくらい貧乏をしていましたが、「嵐が丘」ファンの方なら、高校生が壁の破れたボロ屋で夜な夜な「嵐が丘」を読むというのは、ある意味理想的な環境だと共感していただけるでしょう(笑)

 「嵐が丘」は大好きな作品なので何度も読みました。27歳でロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーを訪ねた時、ブロンテ兄弟の肖像画があるのに気がつき、売店でブロンテ兄弟の詩集を見つけたので購入しました。

 ファンの方は知ってらっしゃるかもしれませんが、ブロンテ兄弟の最初の詩集に、この「老いたるストアの徒」は収録されておりません。私は気になっていた「鎖なき魂ひとつ。」の原文を探して詩集を読みましたが、見つかりませんでした。

 それから時が経っても私の中で「嵐が丘」は色褪せることはなく、むしろエミリーの「鎖なき魂ひとつ。」が気になって仕方がなかったので、藤木直子さん翻訳の「エミリ・ブロンテ全詩集」を購入して読んでみました。

 この藤木さんの本は、エミリーのすべての詩を日本語に訳しているという点でも、エミリーが自ら描いた絵を掲載している点でもとても貴重です。

 私なりに「鎖なき魂ひとつ。」でエミリーが伝えたかったこと、残したかったことを考えてみました。田中さんの解説によると、エミリーは家の用事や日常生活においてとてもストイックで、一方精神世界や空想の自由を常に願っていたそうです。

 私も、私なりに「鎖なき魂ひとつ。」を追求していきたいと思います。オリジナルの詩が読みたくて英語版のThe Complete Poems of Emily Bronteを取り寄せてみたのですが、目次を見る限りこの「老いたるストアの徒」はまだ見つかっていません。

 以下の「老いたるストアの徒」はインターネットで見つけました。オリジナルの詩を紹介し、その後私なりの訳をつけてみます。

The Old Stoic – Emily Bronte

Riches I hold in light esteem,
   And Love I laugh to scorn;
And lust of fame was but a dream,
   That vanished with the morn:

And if I pray, the only prayer
   That moves my lips for me
Is, “Leave the heart that now I bear,
   And give me liberty!”

Yes, as my swift days near their goal:
   ’Tis all that I implore;
In life and death a chainless soul,
   With courage to endure.

「老いたるストアの徒」

現世的な豊かさなど、わたしにとっては何ほどのものでもない、
わたしは愛をあざ笑う、
名声への渇望はただの夢だった、
それは朝になると消えてしまう、

そして、もしもわたしが祈るならば、
わたしの唇を動かしうる唯一の祈りは
「今わたしが耐えている心を解き放ち、
そしてわたしに自由を与え賜え」

そう、わたしのあわただしい日々が終わりに近づくとき、
それこそがわたしが哀願するすべて、
生と死を耐えうる勇気に満ちた
鎖なき魂ひとつ。

訳・リュッツォ

藤木直子さんは「鎖なき魂だ!」と訳してらっしゃいますが、私は田中さんの「鎖なき魂ひとつ。」を参考にさせていただきました。

私も豊かさも貧しさも経験し、この歳になると、望むのは解放された魂くらいのものになってしまいました。心に翼を生やしたことも、そして鎖でつながれたことも経験し、あとは解き放たれること。

エミリー・ブロンテの意志を継承したいものです。

嵐が丘 (新潮文庫)

エミリ・ブロンテ全詩集

The Complete Poems of Emily Brontë 1908

2019年金澤詩人掲載作

A Cricket (コオロギ)  

最初の記憶。それは夜。男は女を殴る。子供が女をかばう。どうかお母さんを殴らないでください、殴るなら僕を殴ってくださいと、生意気な小僧がどこで覚えたのだろう田舎っぺの土人の分際で標準語で懇願する。

部屋には大きな鏡台。

今は築百二十年のこの屋敷の廊下の片隅に、

埃よけの染め風呂敷を掛けられて鎮座している鏡台。

女は男と死に別れてもこの鏡台を持ち帰った。

男は自分の息子かもしれない子供を殴り、踏みつけにする。

女は難を逃れる。夜に。

この屋敷に来てから悪夢を見るようになったんだ。

棺桶の部屋で。

例えばユダヤ人の娘が父親に縛られてクローゼットに閉じ込められて折檻される。

目が覚めたとき、まさか母がそんな目に…..。

この百二十年の間に、そんなことが…..?

次の記憶。また夜。

次ではないかもしれない。夜だった事は確かだ。眼下が真っ暗だったから。

男はベランダから子供を逆さまに吊るす。子供の両足首を夜の黒い手で掴み、落としてやろうかと片方ずつ手を放す。

五十年が経ち、男の子はあの時落とされていたらとてつもない空(ku)の幸福の中にいられたかもしれないと、恍惚と息を潜める。

でも、青い車のあなたと出会ってしまったのだ、今は。

話しを切り上げて医療点数の計算をする精神科医の眼。

こんな話しを聞かされるお前が不憫でならない。

あの時だったのか、男の子が父を怖れ、同時に愛する…….ようになるのか?

時間がないんだ。時間がない。話しているヒマはない。

時間がかかったんだ、あなたと出会うまでに、五十年も待っていた。

これも夜だ。座敷に入り込んだコオロギを、必要以上に大きくなってしまった両手でそっと囲って外の夜へと放とうとしたら、手の隙間から飛び逃げてどこかの陰に隠れてしまった。

男の子は茫然。

A cricketは自滅を選ぶのか?

いやきっと、男の子のあずかり知らぬところで生きながらえるのだろう、死ぬまで。

世界は常に瓦解を抱え、

その破綻はとてつもなく美しい。

ともかくわたしたちは生き延びてきた。

わたしはなりたかった夢に届かなかった。けれどもあなたと出会ってしまった。

すべての夢が終わり果てたあとにまだ、またもうひとつの夢を描ける?

今夜はおやすみ

2018/09/13

ー 『わたしは美しい(The Beauty, that’s me.)』より